サウナに甘えられない日記

徘徊しがちなサウナ好き

とりとめの無い話

出社。朝から「貧乏ゆすりみたいな地震がきたなー」と思っていたら、後ろからそれなりに長い地震がきた。


3/20の祝日はサウナにも行かず、特に何もせずに終わってしまった。
3月末で切れてしまう横浜周辺のサウナ招待券、残るは「RAKUSPA鶴見」「極楽湯芹が谷」「湯快爽快たや」だけれど、使い切れるのだろうか。
平日はサウナを楽しむ体力が足りず、休日はサウナに向かうための気力が足らない。
欲が大きすぎないのは、懐にやさしいかもしれないけど、ひとり飲みをする冒険心、あたらしいことをする好奇心、その原動力は何ですか?欲です。
もしかしたら生きることすら、欲かもしれませんね。


Xでつながった方々のブログを遡り読むのは、発掘調査というか、ボーリング調査みたいな楽しさがあって、ついつい楽しい。
昔からいい感じなブログを見つけると、ランダムに過去記事を見て、あれこれイメージを膨らませるの好きだけど、遡って過去を見るというと、博物館にある地層の展示も好きなんだよな。
城址・火山灰・古墳・貝塚・海、ここに居ながら積み重なった歴史に飛ぶ。
私にはなんにもないから、もっと読ませてほしい。


あとはそうだな、昔あった「ズームイン!朝」の生中継みたく、福岡の中州が夜明け前で一番暗い時、三陸の魚市場では起き抜けの朝日が、ねむための湾を照らしてる。とか、そういうのも好きで、同時並行の世界を面白がって見ていたい。
Twitterだってそんな所あるけど、もっとそういう同時並行の世界を堪能したい。

コロナ禍のすこし前くらいの時期、旅好きだけれど弾丸旅みたいなのも飽きてきて「近くを徘徊していても、遠くを旅したように思える思考法」をテーマにアレコレ試していたことがあり、その中で「世界は様々なレイヤーの重なり合いだから、他人の使うレイヤーを拝借して潜ってみればいい」という解答に辿りついたことがある。

そしてこう、隣町のスーパーを「私はこの町の住民」と言い聞かせながら歩いてみたり、駅前でクソみたいなヤツだけど離れるに離れられない恋人を延々待つ女になりきる。

……なんて遊びをしていたら、コロナ禍の緊急事態宣言も始まって、自分が何者だったか忘れかけて、ややおかしな事になったけれど、あの時は皆がおかしくなってたからな。


サウナにハマって4ヶ月くらいの、2022年頃に書いた、私の過去日記の走り書きを置いていきます。
 


言葉はいつでも脱ぎたがる。
でも今では脱ぎたがるほどの何かもない。
夜な夜な蒸されて、私もう言語化できない、これ以上脱ぐ服もない。強いて言うなら熱波が欲しい。

旅の初めは4列夜行バス


先週は仕事上がり、片道3900円の激安臨時運行夜行バス「青春ドリーム横浜1号」に飛び乗り、弾丸で関西圏に行った。
「旅の終りは個室寝台車」ならぬ「旅の初めは4列夜行バス」という力業。

でも4列シートは3列シートと違い、サービスエリアごとの途中休憩が多くていいな。
ランダムに停まるサービスエリアで、その町の土産品を眺め、すこしだけその町に滞在した気にもなれる。

ひと昔前に比べ、サービスエリア内で深夜営業を行う飲食店は少なくなり、代わりにファミリーマートやらのコンビニ営業が増えてしまったのにはさびしさがある。
しかしコンビニと言えど侮れないところもあって、見慣れた商品の並びにも、こっそり「ご当地」のものはまぎれている。
私は目ざとく静岡県内のコンビニで焼津の鰹節チップスの入った珍味「バリ勝男くん」を買った。
明日会う関西の友だちに、さりげなくお土産で渡すんだ。

深夜の高速バス、同じ目的地に向かう車内の静かな一体感も愛おしく、隣で眠っている一期一会の「知らん男」にすら、心の中でちいさく子守唄を歌い、穏やかな気持ちで運ばれる。
「知らん男」は窓枠に身を預けながら眠っており、私の方は向かないけれど、肉体関係を持たず、でもシングルベッドさながらの至近距離で一夜を過ごす異性、書きながらすこし笑うけど、それもまた4列シートだ。非日常を楽しもう。

格安高速バスの中には、前面部のカーテンがない車もあり、都心部を走る時はさながらサファリバスの趣きがある。
そして深夜3時過ぎ、浅い眠りから目覚めた時に感じる、フロントガラス越し、暖色系の眩しさでも、しみじみ旅が染み渡り、真夜中の夕暮れみたいな気分だ。

ぼんやりした意識も柔らかな夜に溶け込み、翌朝にはすべて消えてしまいそうだけれど、明日になれば、また新しい私が歩き出すわけで、そういうのもいいんだよ。何も考えない。ただ夜を揺らす。




(眺めが最高!ではなかったけど)

東京砂漠

土曜日、都内に遊びに行きたいけど、電車賃のことを考えると二の足を踏む。
でも遠方の友人が都内に上がってきてるらしいので、ちょっと顔出しに行こうかと。


上大岡から京急線で終点・品川までやって来た時の写真。
しかし東京の晴天って、憎たらしいな。
何がそんなに憎いのかわからないけど、偽善者みたいで憎たらしいな。

都内に上がる時、最近は前川清が歌う「東京砂漠」ばかり聴いている。
「東京砂漠」というワードの良さも気にいってて、単純に東京で暮らす人たちの、砂埃まで立ちそうな渇ききった心の内側を表現した言葉かと思いきや、実際の水不足を経て生まれた言葉なのも興味深い。

1960年代前半、異常気象に見舞われ、多摩川水系依存の東京で起きた大規模な水不足「東京大渇水」に対し新聞各社は情景混じりに「東京砂漠」と書き立てて、利根川や荒川の水を取り入れる施設群が使用されるまで、制限給水は3年半に渡り続いたとのこと。
そして東京大渇水・東京砂漠の出来事を現代の東京に置き換えて考えると「本来居住に適した人数を超えたところに住む人々」に対し、いつか自然が牙を向く日が来るのではなかろうかと、妄想の快速特急では、荒廃後の東京のことまで勝手に考えてしまう。人間の欲に塗れた東京。
晴れた日は楽しそうな街なのにな。


東京砂漠という曲について。
詞を書いた吉田旺、メロディを書き内山田洋とクールファイブを率いた内山田洋内山田洋とクールファイブのボーカル・前川清、共に九州の出身で、これは「故郷を離れ、都会で這いずった者たちの歌だな」とは心底感じる。東京に対して歌ったブルース的というか。
首都圏の生活で、未だにもがき続けている私だから、何となくわかるよ。

後ろに寄ったの拍の取り方で、ねちっこく、ねちっこく歌う、前川清
荒廃した世界でも「あなたがいれば、ああ、あなたがいれば」と歌い続けそうな前川清

ぐちゃぐちゃとした感情を乗せて、妄想電車は東海道と並走する。





真っ昼間から酒を酌み交わしつつ「東京砂漠」について語っていたら、
「お金があれば、お金があれば、辛くはないさ、東京砂漠〜♪」
と替え歌しだした友人は今日もキレキレで、ちびまる子ちゃんの父親・ヒロシばりに、情緒もクソもない、だがそれも良い。
遠方の友人と、我々に東京なんて関係ないもんな!今日の酒が美味けりゃいいもんな!とゲラゲラ笑ってしまうほど、いまは自由を満喫している。





見送りつつ寄り道した東京駅、まったく東京ってヤツめ。

「不適切」な健康診断の話

3月某日、朝から健康診断を受けた。
昨年の健康診断は「前日に暴食を行った結果、高血糖かつ血尿」というひどさに加え、人生初の2次検査を受けてしまい、今年こそは挽回しよう!という決意。
そして自らへの罪滅ぼしの意識もあり、健康診断に対し、準備もそれなりにおこなったが、それも良くなかった。

前日の夕飯少なめで、21時以降飲まず食わずの私は、朝食抜き出社の時点で、思いのほか、もうふらふら、朦朧の国をさまよっていた。

血圧を測るも、上が94の下が68とかで、
「上下の差が30は欲しいなと……」と、二度三度血圧を計測させられる。血圧測定のリテイク。私を理想の型に押し込めないでくれ。
腕に圧をくらうたび、輸入食品店に並ぶ、真空パックに入れられた生ハム、加工肉の気持ちもほんのりわかる。ボーッとしながら人間であることも忘れかける。

その後の採血。
「体調大丈夫ですか」って、大丈夫なわけがない。空腹のあまり頭はクラクラしている。
私から血を抜くのか?
「これ以上私から何も奪わないでくれ」と心の中の貧農が叫んでいる。
いち社会人として「私ひとりが耐えればいいのよ」と、流れ作業を止めたくない、自己犠牲混じりの心が出しゃばりつつも、頭は混沌としている。結局は体調不良の自己申告を行い、医務室のベッドの上で採血を行った。

身体測定、のちの問診。
今回は若い先生で、あっさりと問診も終わったけれど、何かが足りない。
もしかして私は「すこしは気を付けなさいよ!」と、毎年いた、オジイちゃん先生の愛のある罵りを期待してしまっていたのだろうか。

生活のだらしなさをガツンと罵る、もとい、鋭く指摘することも、令和で言う「不適切」なら仕方もないけれど、あまりの素っ気なさに、脱力し、疲れが倍増してしまった。
それに最近観たドラマの受け売りもあるけれど「不健康」は「多様性」ではないんだよ。
もしも私の節制が足りないのなら叱ってほしかったし、節制を認めるなら多少は褒めてほしかった。

……なんて、熟練の技を若い問診のお医者さんに求めるのも酷かもしれないけどさ。納得の上で「愛を込めて罵られたい」なんて、あんまり言えないし。
ちょっぴり消化不良なお気持ちは、ここで昇華させてく。

大桟橋食堂で食べなかった日

日曜日の酒と、それらが残った気だるさで、弁当づくりもおサボりした月曜日。
どこかで昼メシ食べようと、海沿いの食堂にやって来た。


結局は、前日の暴食が祟ってしまい、500円の定食を食べても500円分満足できる自信が無かったので「今日のお昼は潮風とカット野菜でいいな」と思い、その場では黙って海を眺める程度だった。

茶を飲むグラスがワンカップの空き容器で、真っ昼間なのに、どこか退廃した空気が堪能できる「大桟橋食堂」さん。
500円ぽっきりで、ご飯・味噌汁おかわり放題という、随分と太っ腹な食堂だけれども、今でも金曜はモツ煮込み定食の日だろうか。


コロナ禍の緊急事態宣言下に行われていた、関内さくら通りにある、居酒屋さんのランチ営業。
この店もメニューにモツ煮込み定食があったり、セルフサービスのお冷のグラスも好きに選べるお店だった。

そして仕事の昼休みなのに、あえて「こだわり酒場 レモンサワー」と書かれたアルミタンブラーを選びたがる、近隣サラリーマンたちのノリも良く、無意識の連携感というか、シラフなのに、それぞれがそれぞれに口数少なくも、場の空気を作り出す。
各々の現実逃避が思わぬ方向で花開いていた空間は、束の間の夢のようだった。


最近はチマチマと節制も兼ねて、職場内での手弁当の日々だけれど、たまに外食しようすると、いつもと違う視界が開けて面白く思う。

はじめて町田を徘徊した話

昨日は町田に出かけ、用事の時間まで、初見の町をふらふら歩いた。
町田は思っていたより肌寒いところだったので、通りすがりの古着屋で300円の古着を買い増して、緑色の生地に白い糸で「CHICAGO」と刺繍されたいい感じのスウェットをその場で着用し、見慣れない自分でほっつき歩いた。
縫製は値段なりに感じたけれど、300円で買える幸せの中では、まぁ悪くないかなと思えた。


夜、用事を済ませて再び町田の夜道へ。
小田急駅の存在感は新宿っぽいけれど、土地に高低差があって、すこし渋谷にも似ている気がする。


ずんずんと歩いていると、いい感じの鼻歌を歌う黒人さんが近くを歩いていて、鼻歌のご機嫌具合が私にも感染し、えらくいい気分になった。
気分がいいから「HEY!」とでも声掛けて、知らん人と知らん夜を一緒に歩きたくもなったけれど、危ないな。自分の軽率さに気づいて踏みとどまる。なんという野生のセイレーンだ。

またこういう声掛けから、自分では選ばない道になだれ込むのも、それなりに楽しそうだけれど、リスクも高すぎる。日常に帰れなくなったら大変だ。




大和横丁の辺りや、仲見世商店街辺りを徘徊したのは楽しかったけれど、結局この日はガストで飲んだ。

「醤油をかけたフライドポテトと唐揚げを、ハイボールで流し込みたい」と事前に食べたいものがハッキリしていたので無難なガスト飲みを選んだのはある。
でも日曜夜だというのに、あたらしく手に入れた「CHICAGO」のスウェットを着て、どこか浮き足立った自分自身がいたので、そこに対する警戒心もあったかもしれない。
冒険心がうごめいて、今日は何だかあぶないな、と。




酒はうまいし、酔いは心地いい。調子に乗って二杯も飲んでしまった。

でもあれだ。終電を駅のトイレに忘れぬ程度に、水を飲んで酔いを醒まそう。そういう所、あるからな。

朝の大垣と養心薬湯に行った話(岐南市)


(前回の旅日記のつづき)

大垣の宿で目を覚まし、無料の朝食を食べ、ぼんやりと朝を迎えた。
昨日ビショビショになった服も、スニーカーも、素知らぬ様子で朝を迎えており、持ち主に似てなんとやら。

グシャグシャになった大谷翔平(が一面に載ったスポーツ新聞)を詰め込まれ、一夜を過ごした私のスニーカー。裏をめくると、ベイから中日に移籍した、細川成也もいたようで「ここは東海圏なのだな」としみじみ思う。

宿を出て大垣駅前をぼんやり徘徊する。
コートも着ず、GAPのパーカー1枚でふらっと来たので流石に寒い。
口を開けば訛りも無いので「よそ者」だってバレそうだけれど、ここまで気の抜けた格好をしていると、まさか旅の人と思うまい。


大垣~岐阜~岐南
岐阜駅から先は名鉄に乗った。休日の名鉄岐阜駅はのどかでよい。
名鉄本線の終着でどん詰まった、名鉄岐阜駅のホーム。


二面四線に電車たちがひと休みしながら、折り返しの発車を待つ。赤い電車の中には焦らぬ客もいる。




岐南駅の内角の和を求めてきそうな部分。



ペジェ曲線ってこういうのだっけ。



お腹の空く地名。
「むかしながらの洋食」に対抗し「あたらしい印食」とかあるかな。



養心薬湯。
熱めのピリピリ薬湯、アチアチのボナスチーム薬草サウナ、水質やわらかめの水風呂+白湯が、タイル張りの浴場に並ぶ。
銭湯スタイルというか、比較的ミニマム寄りにも感じるけれど、薬効はヒシヒシ感じる。花粉症もすこし軽くなったような。


懐かしい雰囲気のある館内。


鳥たちが羽ばたいたら「ロート製薬」のCMにでもなりそうな青空に水色。
この時点で既に「薬効のメタファー」なんだろうよ。

でもやっぱりのここのスチームボナサウナと薬湯、最高だな。何度でも行く。


養心薬湯に寄ったあとは、読みかけの三島由紀夫金閣寺」を読みながらダラダラと鈍行でヨコハマに帰った。
読みながら三島由紀夫の人生の末路まで透けて見えるようで不吉な。でも読む手は進んでしまう。
夕飯は上大岡で家系ラーメンを食べて帰った。特にご当地グルメのようなものも食べず、ほうれん草多めで、日常食に軟着地した。干からびた身体に塩分と水分は沁みた。